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花回廊では花の季節を「春・夏・秋・冬」と分けていますが、花の記事が掲載された日付を元に、以下のように区分けしています。
▼春(春の頃) 3月〜5月
▼夏(夏の頃) 6月〜8月
▼秋(秋の頃) 9月〜11月
▼冬(冬の頃) 12月〜2月 |
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▼名桜散見(14)
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大通庵の桜<温泉郡川内町井内> |
1994/04/19 |
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【城主弔う五方への枝】
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| 戦国の武将の霊も慰める大通庵のエドヒガン |
いま城といえば、県内全域でも松山城や宇和島城などごく少数しか思い浮かばない。しかし、約五百二十年前の応仁の乱から、豊臣秀吉の天下統一までの間のいわゆる戦国時代には無数の城があった。県内でも身近に多くの城跡がある。
そんな時代、道後・湯月城の河野家に、大熊城、小手滝城、鳥屋森城の三城をあずかる武將・戒能備前守通森がいた。大熊城の場所は、現在の温泉郡川内町井内。地元の人が指さす山は戦国の築城地らしく険しい。大通庵は城主墓所の庵(あん)で山のふもとにあり、桜はここにある。
樹種はエドヒガン。根回り約三メートルで樹高十メートル余り。地面から約二メートルで五方へ枝分かれしている。町の天然記念物で、中旬初めに花の盛りを迎えた。同地の子孫戒能幸雄さん(62)は「三百年くらいでしょうかねえ」と樹齢を推定する。
戒能通森は、天正十三年(一五八五)、河野家が小早川隆景から降伏を迫られた時、重臣会議で「四国中が秀吉に降伏した。無理に戦えば、河野家は必ず滅亡する。家を残すため速やかに降伏すべき」と説き、無駄な戦を避け、家名を残したと河野家譜にある。
通森は、河野家当主の病没や、隆景の伊予転封などで隠世した。その子・通邑は農業に従事するなど時代の荒波にもまれながらやがて庄屋になるなど、代を経ても戒能家は素封家としての威厳を失わない。大通庵は、通森から数えて五代目が、先祖の慰霊のため墓の前に造った庵だ。
いま、戒能家は同町の約二十軒のほか各地にある。だが墓所を守るのは井内の八軒。毎年一月十日に先祖祭り、八月に施餓鬼供養を各家代表が参列して行う。彼岸や盆のお参りはいわずもがなだ。「先祖祭りくらいはしませんと…」子孫はこともなげに云い放った。(おわり)
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