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花回廊では花の季節を「春・夏・秋・冬」と分けていますが、花の記事が掲載された日付を元に、以下のように区分けしています。
▼春(春の頃) 3月〜5月
▼夏(夏の頃) 6月〜8月
▼秋(秋の頃) 9月〜11月
▼冬(冬の頃) 12月〜2月 |
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▼名桜散見(13)
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源太桜<温泉郡川内町イダラ> |
1994/04/16 |
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【雲と見まがう花の群れ】
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囚人らが街道沿いに植えて
「桜三里」のもととなった源太桜 |
国道11号を松山市から高松方面へ車で約三十分。温泉郡川内町の町中を抜けると、道は急峻(きゅうしゅん)な山にかかる。いわゆる“中山越え”で、通称・桜三里だ。なるほど道路沿いに桜が多く、雲を浮かべたような花群はドライバーの神経をいやしてくれる。
だが、桜三里の名は、11号のための命名ではない。藩政時代の貞享年間(約三百年前)、松山藩代官・矢野五郎衛門源太が、中山越え三里(約十二キロ)の間に桜八千二百四十本を植えたことから付いた。土砂崩れ防止が目的だった。
源太は難工事に藩の囚人を使った。苦役を恨んだ囚人は「桜三里は源太が仕置き、花は咲くとも実はなるな」とうたったという。桜はいつか「源太桜」と名付けられた。その歴史を秘めた源太桜二本が、国道対岸の山中にあり、今年も枝いっぱいの花をつけた。
桜三里は、松山藩領の道前道後をつなぐ重要幹線だっただけでなく、庶民の金毘羅参り、お山(石鎚)参りの道でもあった。別名金毘羅街道、讃岐街道とも呼んだ。「金毘羅へ〇〇里」の道標が、旧街道のあちこちにあるという。
道は時代とともに変遷する。明治三十五年に旧街道ルートに近い国道31号(大正九年に24号と改称)ができ、昭和二十年代後半には大幅ルート変更の大改修で改称、現11号になる。その後、緑化推進運動で「国道を新・桜三里にしよう」と川内町から源太桜の対岸(田桑地区)まで約六キロの間に四百本の桜を植えた。いま咲いている桜だ。
源太桜へは、周桑郡丹原町千原から中山川逆調整池(平成二年、県の建設)の堰堤を渡り、ダム湖畔を約十分歩く。根回り三メートル、樹高十数メートルのエドヒガンとみられる老桜。花弁が米粒ほどの愛らしい花は、中旬には訪れる人もいない山中で散りしきっていた。
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