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花回廊では花の季節を「春・夏・秋・冬」と分けていますが、花の記事が掲載された日付を元に、以下のように区分けしています。
▼春(春の頃) 3月〜5月
▼夏(夏の頃) 6月〜8月
▼秋(秋の頃) 9月〜11月
▼冬(冬の頃) 12月〜2月 |
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▼名桜散見(8)
【一茶、山かと驚き一句】
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| 遠来の花見客も多い実報寺の一木桜 |
東予市実報寺の聖帝山実報寺(しょうていざんじっぽうじ、穐月=あきづき=英隆住職)には、市天然記念物の一木桜(ひときざくら)があり、四月第一週に花の盛りを迎えた。樹種はエドヒガンだが、江戸時代後期の俳人・小林一茶が「遠山と見しは是也(これなり)花一木」と詠んでこの名が付いた。
明治の書「伊予温故録」には「枝の広がり東西十間(十八メートル)南北十二間(約二十二メートル)」とあるが、いまは直径七メートルの円状。一茶が訪れた寛政七年(一七九五年)、すでに目通り六メートルの巨樹名桜だったらしく、当時の幹は倒れ、現在のものは新しく育った幹だ。
舒明天皇(五九三〜六四一年)の勅願で建った名刹(めいさつ)。近郷の信仰を集め、江戸三百諸侯中第一の能筆家で、将軍家へ習字の手本を納めたという小松藩主・一柳直卿(ひとつやなぎなおさと)も山号額を奉納している。同寺を知るすべての人びとが愛した桜でもある。
一茶は、継母に冷遇されて異母弟と相続争いをするなど逆境と悩みの多かった人。寛政四年(一七九二年)父の代参で京の寺へ参り、ついでに六年間、西国各地を漂遊した。松山へも七、八年の二度来遊、松山藩要職を務め、俳人でもあった栗田樗堂の世話になる。
道後で「寝ころんで蝶とまらせる外湯哉」を詠むなど伊予路各地に足跡を残した一茶は、同年二月二十日に同寺を訪れ「遠山と…」のほか一句、短歌二首を詠んだという。一木のほかに同根古木が二本ある。「市緑を守り育てる会」が三本を保存樹木に指定、見守るなか、三本の桜は春ごとに小ぶりの白い花をいっぱいに咲かせる。
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